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ご挨拶

皆さんこんにちは。
沢田木工建設 代表の澤田秀幸です。
この度は弊社ホームページをご覧いただきまして、誠にありがとうございます。

昭和8年に祖父が沢田木工所と言う小さな木工所を開業し、 昭和44年に父が沢田木工建設と社名変更し今に至ります。 「お客様一人ひとりと、一緒につくりあげる家づくり」を目指しています。 お客様一人ひとり、一軒一軒の家づくりを打ち合わせから回数を重ね、綿密に行うため、 時にはご依頼をいただいてから、お待たせしてしまうこともあるかもしれません。 でも、そのようにしてでも、一軒一軒に対してこだわって、 お客様に喜んでいただける本物の家を建てて行きたいと思います。

生い立ち

生い立ち

幼少期~

小さい頃から、親父やじいちゃんの仕事を見てきた私は「大きくなったら大工になるんだ」と、当たり前のように思っていました。

 

ものづくりが好きだった事もあって、こっそり作業場に入って、ものを作ったりしていました。時には手を切ったこともありましたが、じいちゃんに怒られるので内緒にしていました。

高校を卒業すると、「家で仕事すればいいや!」と思っていた自分に、親父から思ってもいなかった一言が親父:「おまえは家に入れない!」私:「えっ!」うちで大工をやるもんだと思っていた自分は、なんの準備も考えもありませんでした。ハッキリ言って甘えていました。

 

私:「じゃーどうすんの?」

親父:「自衛隊に入れ!」

私:「はー??」

社会人としての下積み時代

 他の工務店親方の所に行って修行でもして来いとでも言われるのかと思ったら「自衛隊??」
数日後、角刈りのおじさんが来て、連れていかれました。
なぜかそこはすんなりと、と言うかそうするしかなかった感じでした。入隊後は、丸坊主になり、規律の正しい生活と、トレーニングの毎日。
1部屋6~8人の2段ベット生活。
最初の数カ月は地元に戻る時間もありませんでした。
体を動かすのが好きだった自分ですが、ほふく前進や穴掘り、重装備での行軍などをして行くなかで、「俺は何をやっているんだ!?」と毎日考えるようになりました。
それは、「やはり物づくりがしたい!」と言う気持ちでした。また数か月が過ぎ、上官と数回にわたる面接を経て、家に戻りました。
が、それでも家には入れず、その後設計事務所でお世話になる事になりました。親父から「うちへ戻って手伝え!」と言われたのは、数年後の事でした。

大工職 始動開始

やっと、大工仕事ができるぞ!と意気込んでいましたが。掃除、材料運び、使いっぱしりばかり・・・。
今考えると分かる事ですが、その当時は不満ばかりでした。親父ともよくぶつかりました。徐々に仕事をさせてもらえるようになりましたが、教えてはもらえませんでした。
しかもやる仕事は、繰り返し同じ事。
その頃から、徐々に親父に連れられ、お施主様との打ち合わせに参加するようになりました。
ただ、黙って聞いているだけ。
親父は絵にかいたような職人で、話は下手でした。
私も下手ですが、その私が下手だな~と思いました。年数がたっていくうちに、時代の流れや、仕事の段取り、工法、などなどいろんな事でぶつかりました。
反発する事は多々ありましたが、最悪な状況にまでならなかったのはやっぱり親父の仕事を見て、「凄いな!」と口には出しませんでしたが思っていたし、教わる立場をわきまえていたんだと思います。自衛隊や設計事務所、繰り返し同じ仕事、早い段階での打ち合わせ参加。
不器用な親父なりの育て方だったのかな~と今になって思います。
自分も2人の息子の親になったからなのか、いろいろ考えてしまいます。

そしてこれから…

代表親父はもういません。
親孝行できたかは、わかりませんが今度は自分の息子に自分の仕事を自信を持って見せられるように、そしてこの地域で、親父の意志を引継ぎ、本物の家、お客様に喜んでもらえる家を建て続けて行きたいと思います。

 

沢田木工建設  澤田 秀幸

秀ちゃんの現場日記

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